1.発病まで

  • 2009/02/19(木) 12:58:37

0.始めに

※ころいどの3つのポイント
1)先天性股関節脱臼治療後連続経過観察による病状把握、手術踏みきり
2)高度臼蓋形成不全(左CE角−22度)、及び変形性股関節症進行期
3)自覚症状は痛み程度。


そろそろ、書き始めていこうかと思います。
ころいどの股関節。

1.はじめに
・先天性股関節脱臼を経て(1991年)
群馬県、関東平野において先天性股関節脱臼(以下先股脱と略します。)で誕生。3ヶ月検診ではOKなのか見過ごされたのか、歩き始めてから保育士さんに指摘されて判明。某市民病院で、リーメンで治療を試みますが、3歳で内反骨切り術を受けました。その後は整体院、接骨医院通い。電気、低周波など一通りは経験済みです。

・幼少時の症状
びっこ歩きはありました。友達からは「歩き方でころいどだと認識出来る」と言われていました。当時脚長差は約3cm。(現在2cm)インソールを勧められたことはありますが、内反母趾になって止めました。足も遅くて、「ころいどちゃんとは鬼ごっこしたくない」と言われたことも(笑)今思えば妥当ですが、心の中にショックは大きかったです。
病気とは直接の因果関係はないと思われますが、運動神経が悪く、縄跳びが苦手な、積極的一方で教室にいることが多い少女でした。また、こけやすくよくアザを作っていました。

・年に一度の定期検診→小6で痛み自覚・発病(2001.8)
先股脱の治療後、幸いにも年に一度定期検診を続けていました。小学校高学年に臼蓋の形成不全の甘さがほんのりと指摘されていましたが、小6のときに、診察室に入ったときに、レントゲンとにらめっこしている笑顔のない主治医がいました。「痛い?」と聞かれ、「手術が必要だろう」とも。ただし、骨の成長が止まってからの方が効果的なので、気をつけながら日常生活を送るように、とのこと。冬になり、鬼ごっこにおいても足の痛さを感じている自分がいました。

 ・手術宣告?(2001.8~)
小6で宣告されたもの、真に受けず‥。そのうちよくなるものだと。
中1の時、webで、調べると初めて自分の病気を客観的に知ることが出来ました。進行する病、手術の種類、方法。そのときの項垂れた感情は忘れられません。誰を責めることも出来ず自分で受け止めることも出来ず。その後も一人で淡々とwebで調べることが日常になっていました。手術の具体説明が主治医からされたのは中3のときのことでした。

 ・持久走大会、陸上部(中学)〜高校スポーツエピソード
小5で持久走の能力を開花させたのに関わらず、小6のときには殆どうまく走れなくなっていました。走っているつもりなのに、前に進まない実感。股関節にうまく体重をかけて上半身を前に移動できない、という感じがありました。恵まれていたことに、当時の主治医はQOL(Quority Of Life)の高いDr.であることもあり、無理のない範囲で、ということでスポーツ制限はありませんでした。流石に毎日10km走っていたことは驚かれましたが。高校入学後、運動部の選択肢はもう無かったものの、友達同士でhiphopを始めたり。体育のバレーボール程度で、足が痛い。既に、”足が悪いんだ”っていう認識はありました。高校から、大学生になると同時に、痛みは常日頃、長時間歩行時に感じるようになりました。

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