将来。

  • 2011/09/30(金) 12:32:04

9月30日。
将来の方向性がだんだんと決まって来た。

【選択肢】
(1)医学部。
一年間真面目に浪人をする

(2)青年海外協力隊。
ーエイズ教育の枠でいくか、または
理科教員の枠でいくか。
ただし、「教職課程研究」という一単位を落としているためorz..
来年の前期にとれるとして、理科教員の枠にはいれるかどうかは微妙。


(3)海外大学院
やっぱり、憧れはあるよね。。。

(4)日本の大学院
長崎大学とかで公衆衛生を学ぶとか。
広島大学と青年海外協力隊では、派遣期間+1年ちょいで
Mr.の資格がとれるのかもしれない。


秋田大学願書、無事だせました。
あとは天命を待つくらいです。

教授に「医学部にいきたいかもしれない!」っていったら、
「医師としてできること、できないこと」という本を
貸して頂きました。



せっかくなんで、掲載。

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「秋田大学:入学後の抱負」
"いのち"に漠然に興味があり、大学では、生物全体像を通して客観的に自分自身を見つめたいという気持ちから生命科学を志しました。
生化学、生理学、微生物学などから、科学的、人間的、生体学的な「命」などと、幅広く生命科学を学んできました。

一方、机上の学問だけではなく、実践的な社会勉強も行なってきました。
大学入学と同時に、上京した東京にて人脈のネットワークを構築すべく、様々な大学の仲間と一緒にイベント企画運営をし、チームの中で一つの目標に向かって協力するやりがいを感じました。
自分の職業適性を探るべく、NPOスタッフやアルバイトをし、
政治や社会問題に関心をもち、1年間にわたる国会議員の学生秘書を通して医療政策、環境政策について学んできました。
モノよりも、人、しかも目の前の人そのものと関わる仕事をしたいという想いが漠然と芽生えるようになりました。

そのような背景をもとに、私が医学の道を志すようになった直接的な経験が2つあります。
一つは、自分自身の患者体験、2つ目は、15カ国に及ぶ海外途上国での孤児院ボランティアです。
変形性股関節症を煩い、大学2年時には進行を抑える為の手術を受け、1年半に及ぶリハビリを通して、「歩ける幸せ」を感じる一方で、「歩ける時間、命に限りがあること」を実感しました。
この足で、この身体で、生きている命を、誰かの為に尽くしたい。いつの間にかそんな想いが芽生えてきました。


生きている証をこの大地に刻もうと想い、途上国を周遊してきました。

売春婦保護施設などのアジア10カ国、また世界一のHIV感染率を誇るアフリカ、スワジランド王国のHIV孤児院を巡り、世界を放浪としてきました。
現地の人々と、言語を超えた心のコミュニケーションを通して繋がっていきました。
人々の笑顔にふれ、人と関わる事の素晴らしさ、国の違いを超える「生きる」という共通認識を再認識できました。

自殺率が世界一の日本では生きにくい社会構造があります。
私自身、大学3年時にはダイエットをきっかけに摂食障害に陥り、20kg増減を伴う拒食症、過食嘔吐に罹りました。

このような背景をもつ私は、この「生きる歓び」を、一人でも多くの人に伝えたい。
そしてこれは経験によって裏付けられた、揺るぎない思いです。

医師というツールを通じて人々の命と、目の前の人の笑顔、人生、そのものと向き合いながら、人の夢をつくり、人生を豊かにする仕事がしたいと考えます。
医師、住民、全てを含めた全ての人々が、生きている楽しさや素晴らしさを感じれるような社会を構築したいと考えます。
医師という職業につくことが目標ではなく、その先に、経験によって裏付けられた目標がある私だからこそ、将来人々の幸せの為の医学の道で、指導的役割を果たすことができると考えております。
秋田大学という、日本の本来の文化が残る場所で医学の道を志し、
人々の優しさに触れながら、地域医療に携わり、多様な文化や習慣を学び、お互いを尊重することで、
将来の自分が目指すべき医療人に向けての人間性を養い、勉学に励むことを誓います。

秋田大学医学部出願。

  • 2011/09/29(木) 10:33:36

これから出しにいきます:)

今日教授とお話した。
「先生、やっぱり医者になりたいかもしれないです。」

国連職員か、医者か。

将来のベクトルが決まってきた。
やりたいこと、夢が分かってきた。

夢に向かって頑張っていきたい。


今やってることが楽しくてしょうがないし、
何にでも使命感と責任を持って取り組める子になりたい。
妥協せず完璧なものを生み出そうとしたい。

いのち。

  • 2011/09/28(水) 13:02:31

9月28日。


完全股関節症のネタと離れているw
ということで、現状報告。
体重がここ二ヶ月で、約5kg増えました。
流石に、階段がきつい。股関節の痛みが感じるようになってきた。
無理しすぎたせいもあるのだろうか。
岐阜にいかなきゃあかんかな。



秋田大学医学部の願書が届いていない。
9月30日必着なんだけれど、どうしようか。
受験料3万円、書類審査もある。

でも、それでも、何かが起こるかもしれない。

そう、希望を持って毎日を歩いていくしか無いのか。

「向き」「不向き」より、「前向き」なのかな。




深夜の過食は続いてます。

本当に顔がでっかくなって、ばかみたいな顔。

居酒屋のバイトをはじめてから約2週間。
しんどいよね。。どんどん日々辛くなっていく自分がいます。
もし、来年医学部浪人生になるんだったら、
真面目に資金は稼がないと行けない。
お金を稼ぐという大変さを実感しています。

本気で夢を追いかけるという事。

自分に嘘はつけなくて、
夢にふたをするような生き方はしたくない。

何か仕事をするならば、仕事を通じて成長したいし、
周りの人を幸せにしたいと切に願う。

一度きりの人生を棒に振りたくはない。
誠意を込めて仕事をする。
思いは、言霊になって現れる。

安定性や社会性を求めるのはいいけれど、
一方で、夢を閉ざした大人には、成りたくはない。

それが、私、なのかもしれない。

使命を見いだす事。
そして、価値をつけること。
自分だけの生き方をしてみたい。

何かを得る為には、何かを犠牲にしなくちゃいけなくて、
それが人によって壁は違うし、不公平な世の中。

限りある命、
この足。大切にする為には何が出来るんだろう。

群馬大学医学部編入試験一次不合格

  • 2011/09/26(月) 15:07:40

まータイトルのとおりw

でも過食してないよ^ω^)))

いやなことだらけですけど、
でも、前に進まないと。

なんか、だんだんとポジティブになれつつあるのかもしれない。

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大人の幸せ “adult happiness” とはなにか

4月 5, 2010に insistaro が Uncategorized カテゴリーへ投稿

先日、”happiness”という題名の素晴らしい文章を読んだ。
幸せについてホンキ出して考えてみることっていうのは、常に大事なことで、難しいことだと思う。
この文章は今の僕に一番しっくりきた。

ここでは、幸せは3つにわけられると述べられている。
animal happiness
infantile happiness
adullt happiness

,animal happiness、つまり生理的な幸せは、最低限の衣食住のことであるという。
animal happinessーその名の通り、動物と同じレベルの幸せである。
人間はいい場所に住み、いい食べ物をたべて、いい遺伝子を残したくてセックスする。
それに幸せを感じる人が多いけど、それって実は冷蔵庫の裏に住んで繁殖してるゴキブリと同じレベルだよね、とバッサリこの作者は言いのける。確かにそうだな・・・

△infantile happinessは、自己中心の幸せであるという。もっと認められたいとか、旅行に行きたいとか。

これらの´△旅せと言うのは実にキリがない、そして中毒性が高いという。
それに対し、大人の幸せーaddult happinessというのは誰かの役に立つ幸せだ、とうのだ。

この第3の幸せというのは、誰しもがある時気付くことだと思う。
ある意味、それに気付いているかどうかで僕はその人が大人か子供か判断する材料にしている。


感情というのは簡単なからくりで出来上がっていないと思う。
そもそもメディアや過去の先人達や周りの人、親の刷り込みで
人々の感情に対するイメージは出来上がっているのかも知れない。
でも実際は、そんな安いドラマとか物語の中に見えるような仕組みで人間の感情は変化したり動いたりするモノじゃないと思う。

つまり、幸福という感情がなんなのかと理解するのは難しいことであると思う。
経験して悟る類のことである。
ただ、今の僕には幸福とはこのadult happiness にあたるものだと思う。

「情けは人のためならず」という言葉がある。
小学校の時、この「情けは人のためならず」は、甘やかすとその人のためにならない、という意味だと誰かが発表して
先生が長々ときちんとした説明で訂正したことが、今でも鮮明に覚えている。

もちろんその意味もあるのだけれど、これは人にいいことをすると、それが回り回って自分に返ってくるという意味である。
なんで2つの意味があるのかとか、そもそも本当に返ってくるのか?なんで返ってくるとか言っちゃってるのか、当時の僕には謎だった。

同じような言葉が、江川達也の「まじかるタルるーとくん」にも出てくる。
「人にいいことをすればいいことが返ってくるのよ。」と主人公の母親が、主人公に語りかける。
これは実はこの作品の大きな根幹のテーマになっていて、
作中で主人公はその言葉に疑問を覚えふてくされるが、その後成長し、ライバルとの戦いもあり、魔法界にも行き、物語の最後の最後で、それが本当だったと悟るのだ。(しかも小6で!)
僕は小学校の時、この漫画を何度も何度も読んだはずだったのに、イマイチ意味がわからなかった。

20才を過ぎて、こういったことの思い出が何度も蘇ってくる。
そして、僕に自問自答させるのだ。
それでも、「いいことをしたら、いいことが返ってくる?wそんなわけないだろ
世の中性悪説で成り立っていて、そんなことバカげてるw」
としかずっと思えなかった。

でも、今は違う。
世界はつながってる。つながっているとわかる。
人にいいことをすると、巡り巡って返ってくるのは確かなようだ。
人にいいことをすることで、自分が幸せを感じるかどうかはまだわからない。そんな他人本位にまだなれないと思う。

それでも、最近は純粋に人に何かを伝えたい、助けになりたいと思う。
誰かを助けることで、自分が救われた気分になる快感とか、自分が何かしてる実感を味わうための自己本位な感情かも知れない、と疑ってみたくなる。
でも自分が味わった痛みを、また誰かに味あわせるのは嫌だなって思う。
自分のしたことで、誰かが喜んでくれたら、心の底から笑ってる自分がいたりする。
これはaddult happinessなんだろうか。

ゆるぎないもの

  • 2011/09/26(月) 09:48:16

9月24日土曜日 
AM:東大で学生団体リディラバの会議に参加
PM:池袋保健所にて、エイズ勉強会主催者^^♫

9月25日日曜日
ビジネスをやっている人とお会いするw

いろいろ人と出会いっています。
人脈だけは、大切にする。



過食嘔吐はまだしばしば。。。
でも嘔吐すると、すごい顔がむくむんですねー。

二日ぶりのバイトで、会った人から、
「あれ、前より太った?」ってw

いや、身体は一日二日でふとらないからw

っていうか、報告してなかったー^∀^)
居酒屋のバイトをはじめましたw
今更ながらwww
だって、大人のお酒を愚痴を聞くのがおもしろいんだもんw
今更ながら、ね。


本気の人はかっこいい。
居酒屋のお寿司屋さんなんですが、
その人は適当だけど、シャリに関しては、負けない。
バイトの人がたいたご飯の硬さに、どなりをつけたみたい。


"ゆずれないもの"
"ゆるぎないもの"
が、誰かのために、社会の為に役に立つ事、っていいな。

摂食障害である拒食症の時は、
如何に人前でごはんを食べないか、
"野菜だけを食べるか"、とかそういう"こだわり"をもっていて、
それが、何の役にもたたなかった。

「後悔する生き方はしたくない」


だんだんと夢が明らかになってきた。

やりたいことが見えてくるようになってきた。

マスタリー(熟達)

私たちは無報酬でもやりたいことを仕事にするべきなのです。なぜなら、そのような仕事をするときにだけ、内発的動機づけを持つことができ、また、少しでもより良いものにしようと努力し続けることができるからです。

「マスタリー」は、私が探求の過程で見つけたキーワードです。ダニエル・ピンクの『Drive(邦題:モチベーション3.0)』や『Delivering Happiness』などの本を読んで、人は何か価値あることのエキスパートになろうと集中しているとき、外発的動機づけで物事を成し遂げようとはしなくなる、ということを理解したのです。

例えば、私は大学生のとき地質学のクラスをとっていました。実際、私は地質学には興味がなく、ただ単位をとるために受講していました。よって、そのクラスについてはほとんど何も覚えていません。そのかわり、経済学が好きで副専攻にしていました。経済学の理論を学ぶことが楽しかったのです。私は経済学についてどんどん習熟して行っていたので、クラスでA評価をとることに全く苦労しませんでした。

しかし、マスタリー(熟達)は、完璧な達成や完全な知識に到達するという意味ではありません。ダニエル・ピンクは著書の中でこう言っています。

なぜ、人は完全には到達できないものを求めるのだろうか。だが一方で、それが魅力でもある。だからこそ、到達しようとする価値がある。喜びは実現することよりも追求することにある。とどのつまり、マスタリーはどうしても得られないからこそ、達人にとっては魅力的なのである。

内発的動機づけに基づいて何かをするときにのみ、マスタリーを追求することができるのです。決してお金をもらうためではありません。

皆さんはどうでしょうか? どんなことなら無報酬でもやりたいですか? きっとあなたはそれを見つけ、その仕事に専念するために今の仕事をやめる時が来るでしょう。そして、今よりずっと心から仕事を楽しみ、その分野のエキスパートになることと思います。



さぁ、次へ。